ビルの谷間に佇む五反田にある「雉子神社」

画像:雉子神社

https://nishimagome.link/2017/01/11/kijijinjya/

ビルを境内とする不思議な空間

五反田にある雉子神社(きじじんじゃ)は、JR山手線・都営地下鉄浅草線五反田駅から桜田通りを北東方面に5分ほど歩いた位置にあります。
雉子神社が特徴的なのはその位置。
実は桜田通り沿いではなく「白雉子ビル」という建物の後ろにまわったところにあります。

白雉子ビルはコの字型の構造をしており、コの字の凹んだ部分に雉子神社が収まっているという形。
今どき都内にはビルに囲まれた神社・寺も珍しくありません。
場所によってはビルの1階部分が神社になっているというものもあります。
しかし、雉子神社のような形で、いわばビルに埋もれるようにして存在する神社・寺は珍しいといえるでしょう。

これは、ビルが建った結果として起きた現象ではなく、白雉子ビルを設計する時点で雉子神社を取り囲む形にされたということです。
白雉子ビルは平成7年竣工。
この形になったのは意外と新しいのです。

ではなぜわざわざ神社を取り囲むようなコの字の構造に設計されたのでしょうか?それは、神社の上に蓋をしないようにする配慮だと思われます。

神社というのは神様が降りてこられる依代です。
依代というのは神様が宿る仮のオブジェクトという意味です。
古代には山や岩が依代とされ、その後神社という建築物が建てられるようになってからは神社の中に祀られた御神体などが依代とされました。

つまり神様は神社の中に常時お住まいではないので、天との連絡を塞いでしまってはいけないのですね。
そこを考えずにビルの中に神社を埋め込んでしまっているところもありますが、この神社はそこが配慮されわざわざビルのへこみに神社が囲まれた不思議な空間が生まれたのです。

徳川家光が「雉子」の名前に改名

雉子神社の創建は室町時代の文明年間だと伝えられています。
西暦にすると1400年台後半ごろ。
室町時代のあるとき、当地の農民の夢に甲冑武者が現れて日本武命(ヤマトタケルノミコト)と名乗り、ここに自分を祀れば村のに安泰が訪れるとお告げをして白いキジとなって飛んでいったといいます。
それで神社を建て「大鳥明神」として信仰されるようになりました。

日本武命は神話では白鳥になって飛び去ったと伝えられていて、他に近隣の目黒にも「大島神社」があり、日本武命を御祭神として祀っています。
おそらく五反田、目黒周辺に広く日本武命信仰があったのではないかと推察されます。

雉子神社には他に神話で天の岩屋戸を引き開けた手力男命も祀られています。

五反田が、五反田という名称になったのは江戸時代だと言われています。
五反の田んぼがあったからというのがその由来で、今の姿からは想像できない農村でした。

江戸時代、三代将軍徳川家光がこの地に鷹狩に訪れたといいますから、うさぎなどの野生動物も多く暮らす自然豊かな土地だったのでしょう。
その将軍家光の鷹狩のおり、一羽のキジが神社の境内に逃げ込んだといいます。

キジは古来より鳴き声が不吉であるなどとされて敬遠されてきました。
ところが家光は大鳥明神の由来として日本武命が白いキジとなって去っていったというのを聞き、奇瑞であるとして社名を「雉子宮」にしろと命じます。
それ以後、この神社は雉子ノ宮と呼び習わされてきました。
そして明治時代になり、「雉子神社」に改められて現在に至ります。

また明治の後半には大崎にあった三島神社が合祀されています。
三島神社の本社は愛媛県の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)で、御祭神はイザナギノミコトとイザナミノミコトのお子さん、つまり天照大神の弟である大山祇神(オオヤマツミノカミ)です。

お祭り!神輿!地元の人々に大切にされている神社

雉子神社の例大祭は毎年10月の第1土曜・日曜に行われています。
例大祭というのはその神社の中で最も重要なお祭りのことです。

目黒と五反田の氏神様である雉子神社は氏子さんも多いので、例大祭は近隣地区を巻き込んで例大祭前日の前夜祭から盛大に行われます。

前夜祭には神社の境内で近隣の清泉女子大学の演奏や演劇などのクラブ発表会、氏子さん有志による舞踊やダンスなどの奉納が行われます。

そして圧巻なのは例大祭の本祭です。
子供神輿や山車などの後、五反田近隣の22ある各氏子町内会のお神輿が勢揃い、五反田駅の東口から桜田通りを埋め尽くして、雉子神社へ向かって宮入します。
その様子はまさに人の海で、盛大さでは浅草の三社祭りにも負けないのではないかと思わせられるほどです。

2017年には、100年の歴史があるという一二三町会の大神輿が参加して注目されました。

観光客も多く集まる三社祭りとは違い基本的には地域のお祭として行われる例大祭がそれだけ盛大なのは、雉子神社が氏子さんたちの拠り所として非常に大切にされているということなのでしょう。

もっとも、最近ではお神輿の担ぎ手として地域以外の人たちも参加しているといいます。
都心だけに町内会だけでは担ぎ手が足りないのかもしれません。
ただお神輿というのは神様に近所の様子を御覧いただいて感謝をささげるために行うものですから、他の地域の人が参加していたとしてもお神輿の巡幸が行われること自体が、地域のためにも大切なのではないかと思います。

もちろんお神輿のルートである桜田通りの歩道側には屋台がならんで縁日の様相をあらわしますので、そちらを目当てに行ってみても楽しいですよ。
ついでに近隣の神社・寺めぐりをするのもおすすめです。

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