不動前駅前商店街を抜けた場所にある「西五反田氷川神社」

画像:氷川神社

http://goshuin.blog.jp/archives/7156441.html

村が作られた時に鎮守として創建

現在の東京都南西部に位置する品川区五反田は、明治時代の町村制施行のときには大崎村でした。
大崎村もそれ以前は幾つかの村が合併して誕生しています。
その中の一つに桐ヶ谷村があり、その鎮守が西五反田氷川神社です。
鎮守は地域を守る神様を意味し、氏神や地主神などとも呼ばれます。
土地に住む神様を鎮め、災害や病気など様々な災いをもたらさないようにと願う意味があります。
桐ヶ谷村には室町時代に農民が定住していたとも、関東で勢力を誇っていた北条氏と上杉氏が戦った後に武士が住み始めたとも伝えられます。
桐ヶ谷村が誕生したときに西五反田氷川神社も創建とされますが、その根拠として現在も隣接する安楽寺があります。
安楽寺は西五反田氷川神社の別当寺で、十六世紀後半に創建されています。
この別当寺は江戸時代以前の神社・寺が明確に分けられてない神仏習合時代に、神社を管理するために置かれた寺のことです。
つまり別当寺が存在したことは、そのとき既に神社があったことを示しています。
神社創建後から明治期の村の合併までについても桐ヶ谷村について記載した書物から、現在の五反田にそのまま位置していたと分かります。
大崎村に合併され数年後に神仏分離政策および一村一社が推進された際にも西五反田氷川神社は残されました。
ちなみに十六世紀後半といえば、織田信長が室町幕府を滅ぼし、戦国大名が群雄割拠し下剋上の世の中から全国統一へと向かい始める時代です。
そうした中で、桐林が密生していたとか霧が濃かったなどと言い伝えられる桐ヶ谷村で鎮守として西五反田あるいは桐ヶ谷氷川神社とも称される社殿は創建されました。

崖から湧き出す滝が復元された

五反田は武蔵野台地の東南部に位置し、水を通しにくい層の上に砂礫層があることにより湧水が存在します。
西五反田氷川神社の境内には地形から生まれる氷川の滝または桐ヶ谷の滝と呼ばれる滝がありました。
もともとは湧き水に過ぎませんでしたが、農民らが周囲を開き滝にしたと伝えられます。
石段の脇にあるこの滝は江戸七瀑布に数えられ、かつては豊富な湧水量を誇っていました。
しかし土地開発に伴う自然環境の変化や、地表面をアスファルトなどで覆うことによる雨水の浸透減少により、以前のような滾々たる滝の様子を見ることはできません。
それでも平成に入り境内整備によって水源を復元すべく、外観を新しくした上で氷川の滝として後世に残す旨、由緒来歴と共に記載されています。
水の流れは異なっても整備された石の筧や鉢などを見ていると往時を偲ぶことができます。
明治時代に刊行された東京近郊名所図会という地誌によれば、夏は出店などが並び暑さを凌ぐために人々が多く訪れたとされます。
ただ時代の変化で交通網が発達し、さらに滝が小さくなったためにその数は次第に減少したのでしょう。
現在では西五反田氷川神社の姿は閑静で落ち着いた姿ですが、地域の人々が集い水が豊富に流れていた頃を思うと、また一味違った感慨に包まれます。
少ないながらも湧水が見られるのは、修復があってこそです。
時代が変われば神社・寺を訪れる目的も変わり、氷川の滝がもつ意味も変わるのは仕方ありません。
それでも時間を繋ぐ接点として過去から現在そして未来へと語り継がれる点では、滝の姿は変わっても変わらないでしょう。
鎮守にあることで、水の重要性を再認識させてくれるはずです。

鳥居の氷川の「氷」は字が違う!?

鳥居や御札に記載された氷川神社の氷の字は、現在使用されるそれとは異なっています。
よく見ると偏の「にすい」に水との表記です。
「にすい」は気候や温度が寒いや冷たい状態を表しますから、まさに水が固まった様子の氷を意味します。
したがっていずれの字も表記以外に何ら違いはなく「氷」の原字が「冰」です。
現在の字に統一される前の字と考えれば良いでしょう。
鳥居は「にすい」を使用しているものの拝殿に掲げられた奉納者一覧を示す額では、よく見慣れた「氷」の字が使われています。
このように場所ごとに表記が異なるので、それを探してみるのも歴史ある西五反田氷川神社を訪れる楽しみに加えられるでしょう。
「冰」と表記している箇所は年代が古いと推測できます。
さらに神社・寺を訪れる目的は願掛けはもちろんのこと由緒や来歴を調べたり、祀られた御祭神や御本尊を知ることにもあります。
西五反田氷川神社は、スサノオノミコトなど五柱をお祀りし、昭和十三年に再造営された権現造りの社殿は第二次大戦の戦火から逃れ現在にその姿を伝えています。
この神社には鉄砲石という幕末の志士らが銃撃の練習をするために使用したと伝えられる、無数の弾痕が刻まれた巨石を見ることができます。
御殿山にあったものを移動させたとされ、外国からの圧力が強まる中で御殿場が重要な場所だったことを感じさせてくれます。
西五反田氷川神社へのアクセスは、電車ならば不動前または大崎広小路、五反田駅を利用すると便利です。
最寄り駐車場もありますし、数百メートルの距離にはバス停もありますから都合によって選ぶことができます。
御朱印を頂くこともできますから、収集されている人は頼むと良いでしょう。

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